ウイスキーレポート

シンガポール在住の酔っ払いのウイスキー備忘録です。

オールドクロウ トラベラー 1960年代流通

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Old Crow Traveler 1960's
Nose


バニラ、キャラメル、クリームブリュレ、レーズン。

Palate


熟したベリーから始まり、アニスやシナモン等のスパイス、チャーした樽のオーキーさが続く。キャラメル、余韻にかけてオイリーでコクのある甘味が残るが、思いのほか早く切れ上がり、焼きリンゴやキャラメリーゼしたバナナのような加熱したフルーツのニュアンスが取って代わる。

 

Rating


Very Good

香りは濃厚だが、飲んでみると思いのほかフルーティで軽やかに切れ上がる。味気ない現行品とは全く異なる素晴らしいバーボン。

 

歴史

 ケンタッキー最古のブランドのひとつにして、かつてはトップセールスでもあったオールドクロウですが、今ではすっかり安バーボンの代名詞といった扱いです。しかしその歴史を振り返ってみると、本来はそのような位置に甘んじはいけない名門バーボンなのです。
 
 同蒸留所は少なくとも過去3回レシピが失われたと考えられ、特に1987年のジムビーム買収以後は原酒もビームのものとなっていてそれはもはやレシピの変更というレベルではなく、つまり現行のオールドクロウはその実ブランド名だけで、オリジナルとは全の別物なのです。

 もともとオールドクロウはスコットランド移民のジェームス・C・クロウ博士が、1838年にオスカー・ペッパー氏の蒸留所で働き始めたことにその歴史が始まります。クロウ博士はサワーマッシュ法を編み出した本人と思われており、化学者としての知見や、生来の厳格さ、几帳面さを製造に生かしたことで優れた品質の蒸留酒を生み出し、そのため同社はたちまち人気を博して次第にその名からクロウ、そして樽で熟成させるに及びオールドクロウと呼ばれるようになりました。クロウ博士はレシピを厳重に管理したことでも知られており、彼が1856年に亡くなるとしばらくは盟友オスカー氏がレシピを引き継ぎますが、同氏も数年後にはレシピを次代に受け継ぐこともなく鬼籍に入ります。ここで本当のオリジナルとしてのオールドクロウは失われてしまいます。

 その後、蒸留所はGaines Berry & Company社(~1870年代)、次いでW. A. Gaines & Co社(1870年代から1930年頃)へと買収されます。この2社は良い後継であったようで、レシピは残されていませんでしたが、新しいオーナー達は職人達に今までと全く同じように作るよう指示しクオリティの維持に努めました。その甲斐あってか、クロウ博士の死からおよそ100年はオールドクロウにとって栄光の世紀となりました。アメリカ発展の波に乗って順調に事業を拡大し、数多の著名人に愛されることになるのです。

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Old Crow Traveler 1970's

 ちなみにW. A. Gaines & Co社も禁酒法のあおりを受け1930年頃に倒産してしまい、そこからは先は冒頭のジムビーム買収までNational Distillers社が所有することになります。そして今回のボトルは1960年代蒸留と思われ当然National Distillers時代になるのですが、ラベルにはしっかりとW.A社の名前が記されています。これをオールドクロウ中興の祖たる同社への敬意の現れととるのは、私の勝手な想像です。なお上の写真は以前バーで飲んだ別ラベルのトラベラーになりますすが、推定70年代流通のこのボトルにはその表記がなくなっています。トラベラー自体は1960~70年代流通品で、スリムなボトルでカバンに忍ばせやすく、どこへでも持ち運べることをウリにしましたが実際にはなかなか750mmlのウイスキーを持ち歩く人もいないでしょう。

 さてオールドクロウ(またはそれ以外のバーボンも)は、1960年代も売り上げを伸ばし続けました。しかし増大する需要に対応するための設備更新や能力増強が予期せぬ結果をもたらしました。60年代のあるとき、それはどこかで区切れるものではなく徐々に変わっていったのだと推測されますが、オールドクロウの肝ともいえるサワーマッシュ法、その創業以来守り続けたリターン比率が変わっていったことにより、風味に影響がでることとなるのです。不幸にもその変化は好ましくない方向にでてしまい、市場からネガティブな反応が寄せられましたが、残念ながら蒸留所はそれを修正することができませんでした。こういった近代化の流れはほかのバーボンにもあり、多かれ少なかれフレーバーに影響が出始めたのが1970年代と言われていて、このころからバーボンの長い暗黒時代が始まります。スコッチやカナディアンのアメリカ市場への侵攻も大きな影響を及ぼしましたようです。70年代以降の全体的なバーボン不振の中にあっても、オールドクロウの落ち込みはひと際大きいものでした。こうして徐々に市場の支持を失ってゆき、ついには1987年のジムビームによる買収にたどり着くわけです。

 改めて今回のボトルを振り返ります。1960年代は上記のようにレシピが徐々に変わっていった、言わば終わりの始まりぐらいの時期にあたります。このボトルは底面のエンボスから推測するに1967年頃流通で、蒸留は60年代前半から中ごろと思われます。しかし正直なところこれが全く素晴らしい出来なのです。また前述の推定1970年代ボトルも負けずに素晴らしい・・・。相当のオールドボトルであり瓶内変化も勿論あるとは思いますが、そういうレベルでなく、近代のバーボンとは一線を画すフルーティでエレガントなテイスト。それではこれにクレームをつけた当時の消費者は相当舌が肥えていたのか、というとそうではないような気がします。味覚は相対的なものですから、当時の人が新しい味に馴染めなかった可能性もありますし、実際にはバーボンが持つ南部労働者のイメージが忌避されたことや、その受け皿として心の故郷たるヨーロッパのスコッチや、洗練されたカナディアンが好まれたことの影響がより大きかったのではないかと考えます。
 そうは言いながらも本音では1960年以前のボトル、昔の人が好んだというものも飲んでみたいところで、つい最近もアメリカの倉庫でオールクロウの1912年が見つかったことがニュースになりましたが、まぁ一体いくらになるのか見当もつきませんし、かなり困難なミッションです。
 今日ではドラッグストアーの定番安バーボンといった位置に甘んじていて、あまり人気のないオールドクロウですが、オールドボトルには魅力がつまっています。流通量は少ないものの、まだ比較的安価なので見かけたら是非とも試していただきたい1本です。冒頭の写真、後ろの控えるのは1960年頃蒸留のオールドクロウで、こちらも折をみて飲み比べしてみようと思っていますし、またブランド末期の1980年代蒸留品も今のうちに手に入れておきたいところです。

参考:The Coopered Tot
   http://www.cooperedtot.com/